2006年10月30日
基準の作り方
日本の住宅の基本性能は、先生と呼ばれる人たちの研究によって決められます。
現場の人間がどのように思っていても関係ありません。
先生たちが「これがいいのだから」と言えば、性能は良いことになりますし、割増の融資がついたりします。
現場の人間の意見に関わらず、「これを目指しましょうよ」と行政も後押しをします。
今日はそんな先生たちのお話。
日本の建築の性能基準の作り方は、必ず学識の権威に依頼します。
どこそこ大学の何とか教授に依頼するのですね。
そこでプロジェクトチームが作られまして、政府の予算がつきます。
2年とか3年の開発期間、研究機関が設けられまして、さまざまなデータが検証された後に、新しい性能の指針の沙汰が下ります。
「者共、よく聞け!これが新しい基準じゃ!よくよく守りし候こと申し付け候」
昔ならこんな風に宣言したのでしょうが・・・
今なら国土交通省のホームページに乗る程度です。
建設関係の新聞などで、新基準の制定程度は記事になりますが、一般の人が読むものではないので知らない人の方が多いでしょう。
近年で一番大笑いしましたのは、「次世代高断熱」の基準です。
これは図面上の床や壁の厚さ、断熱材の厚さ、断熱材の種類で判断します。
これは昨日ブログで書いたとおりですが、気密性も伴わないと何の意味もありません。
なぜか?
すき間がどれだけ開いていても、「次世代高断熱」は別物で宣言できる性能基準だからです。
「意~味な~いじゃん」
そう、ワンセットでなければ意味のない基準なのです。
広告で「次世代高断熱基準クリア」とか、よく見ると書いてあることがあります。
しかし、気密試験を全棟で行っていないとまったく意味がないのです。
いくら断熱材だけ入っていても、すき間だらけじゃしょうがないと思いませんか?
こんな机上値の数字を決めるだけにいったいいくら予算を使ったのか・・・
国民をバカにするのもいい加減にしろ!と言いたくなりますよね。
しかも、営利利用で気密試験もしない、いや、性能が出ないのでできない会社の、広告のための好材料になっているのです。
一般の消費者にはわかりませんよね。こんな裏事情は。
私は言いたい。
先生たち。
こんな国民をばかす様な意味のない基準を作らないでくれ。
そして国土交通省の方たち。
もっと意味のあることに予算を使いましょうよ。
あなたたちが一番狭間にいることは知っていますよ。
良い住宅の基準をズバッと作りたいですよね。
でも、それじゃつぶれてしまう建材メーカーと建設会社がたくさん出てしまうから、そちらの社会混乱の悪影響の方が大きいとお考えなのでしょう?
わかりますよ。
社会調和を考えた場合、改革だけがよいわけではないと言うことは。
次世代高断熱ではなく、気密性も兼ね備えた次世代省エネ住宅であれば、私もこんなコメントを書かなくて良かったのですが・・・
スウェーデンのお話を最後に紹介しましょう。
何年かに一度、彼らも住宅を進化させるためにプロジェクトを作るそうです。
プロジェクトのメンバーが驚きなのです。
な・ん・と
建築関係の業者や専門家を入れないそうですね。
市民レベルで求める性能だけを追求させる。
その結果を実現させる段階になり、専門家に参画してもらう。
そんな手順を踏むそうです。
日本はいきなり「先生お願いします」なのに比べて、なんと市民本位なのでしょう。
ですから、既存の技術や過去の慣例にとらわれず、新しい改革が簡単にできてしまうんですね。
専門家の先生も専門業者も、「過去やっていたことは間違っていました」なんていいづらいでしょう。
また、認めたくないものです。
まったく新しい技術や工法の改良は関係者自らによって行うには限界があるのです。
住宅先進国の北欧では、プロジェクトは市民が行い、先生たちに実現させる。
日本では、先生たちが考え、市民たちを従わせる。
どちらが住む人本位の考え方かわかりますよね。
基準の作り方が変わらない限り、日本の住宅の最低限は残り続けるでしょう。
100年を簡単に耐久する住宅と、20年で腐る住宅の見極めは自分でしなければならない時代は、まだまだ続きそうです。
- by
- at 08:54
コメント
大学時代のゼミの教授もそれに似た事やってましたよ。今思えば、確かにその先生も、現場の事はよく分かっていなかったな~。
それと、身内がその「お上」にいるのですが、奴も現場の事は全く分かっていないです。。
それにしても、スウェーデン。まずはプロを入れないって所が、「えっ?」ですけど、考えてみたら「なるほど」な所ありますね。
hiroさん
「家は教室で建てるんじゃない!現場で建てるんだ!」
オダユージに一発気合を入れてもらいましょう。
実はスウェーデンあたりではプロの大工と一般の人はかなりボーダレスではあります。
ただし、専門家を入れないのはミソですよね。
過去にとらわれずいい物をイイ、と言えるだけでも大きな違いです。
日本でそんなことをしようものなら、「先生数年前は全然違うことを言っていたでしょう!?」と突っ込まれてしまいます。