2006年12月19日

129回記念エバラ登場

さて、本ブログも129回を迎えることになりました。

今回も記念にエバラ先生に講演していただくことにしましょう。

今回のテーマは「こころ」

さぁ、今回はどんな話がでるのでしょうか?

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え~まずは129回おめでとうございます。


今回もお招きいただきまして本当にありがとうございます。


皆さんは「こころ」とは何だと思いますか?


西洋の心理学では自意識と呼んでいます。


医学では統合器官と呼んだりします。


名前を付けて扱っていますが、今ひとつ何かわかっていないこの「こころ」


今回は「こころ」について皆様に考えていただく機会になればと思います。


勝手に思考したり、まわりの出来事に反応したり


「こころ」と言うものは定まることがありません。


人に優しい思いを持ったかと思えば、攻撃的になったりするのも「こころ」によります。


風が吹けばゆれる水面のように


表面は絶えず外界の影響を受けて波立ちます。


風が吹いたら波立つし


石を投げられると波紋が起きるし


雨が降ると雨粒がぶつかり水煙が立ちます。


このように「こころ」は水に例えられるように、外界の影響にいつも反応してしまうものなのです。


殺人事件や自殺のニュースを見ても何らかの反応をするでしょう。


感動的なニュースを見ても同様です。


それは自ら感じているように見えますが、外界のエネルギーに反応しているに過ぎません。


外界のエネルギー(出来事も含む)が何であれ、個人差はあるけれど何らかの反応をしてしまうものなのです。


また「こころ」は傷つきます。


水のような特性を持っているのに、傷が付くことがあるんです。


暖かくもなれば、冷たくもなります。


これらの感覚はとても物理的だといえます。


ですから体と同様に、大切にしなければいけません。


自分の「こころ」も人の「こころ」も


傷を付けないように大切に扱うのです。


そして、暖かい「こころ」でいることは、幸せになるためには不可欠です。


「こころ」が冷たければ、その「こころ」の持ち主が幸せになることは難しいでしょう。


幸せになりたいのであれば、自他ともに「こころ」を傷つけず、お互いに暖かくいられるように努力すべきです。


それは「原因と結果」の法則があるからです。


「こころ」が見えないからと言って軽視してはいけません。


傷つけたり、冷たくしたり


あなたの言葉と態度は、そのままあなたに結果となって帰ってきます。


自分のであれ人のであれ


「こころ」を傷つけたとしたら


必ず「種」にふさわしい「実」が実ります。


「こころ」を傷つけても、ほとんどの場合法には触れません。


例えば「お前は愚か過ぎて生きる価値もない」と人前で罵倒したとします。


これが事実でなければ名誉毀損で訴えることができます。


事実無根の評価を人前でされることで名誉を傷つけられた、と訴えることができます。


事実であれば公衆面前侮辱罪が適用されますので、訴訟を起こすことは可能です。


訴訟の条件として、「自分は愚か過ぎて生きる価値もない」と認めなければいけませんが・・・


いずれにしろ、「公衆面前」と言う条件が付きます。


これを1対1でやったらどうでしょう?


まず、名誉も傷付けられたことになりませんし、侮辱罪も適応しません。


ですから、どうひっくり返っても法律ではこの悪意を取り締まることができません。


でも


本人はこんな評価をされたら傷つきますね。


間違いなく。


人は法律を犯していなければ、「悪いことはしていない」なんて言ったりしますが


善い悪いは法律だけの問題ではないのです。


ギーターのよると、「こころ」には三つの属性があります。


「浄性」「激性」「鈍性」


これらの三つの調和が取れていると、とてもよい働きをするのも「こころ」です。


バランスが悪くなると、さまざまなイベントが起きる可能性があります。


人間との不調和だったり、体の病気になることだってあります。


三つの属性についてはここだけではとても伝え切れませんので説明は別の機会にしましょう。


日本人は「こころ」が病んでいる人がとても多いのです。


それは非道徳な言葉や態度によって傷つくことを知らないからなのです。


暴力は肉体だけのものではありません。


「こころ」の暴力も存在します。


わたしたちが「こころ」と呼んでいるものは、物理的な性質を持っているということ。


傷を付けてはいけないこと。


暖かく保つ努力をすることが幸せになるためには必要だと言うこと。


今日はそれだけお伝えしておきます。


そうそう


傷ついた「こころ」は傷ついたメガネのようです。


同じものを見ても、異なる姿に見えることがあります。


本人は傷が付いていることで、本当の姿が見えていないことに気付きません。


また、色がついていることもあります。


同じものを見ても違う色に見えてしまいます。


これも本人は気付きません。


絶えず「色」のついたメガネで外界を見ているわけですから、比べようがありません。


人と意見が違ったりするのにはそんなこともあります。


傷ついている者同士が集まって意見を出し合うと、必ず平行線になります。


もし、平行線のまま変わらないであれば、あなたの「こころ」も傷が付いていると思ったほうがよいでしょう。


相手の見方を理解できないことは、あなたの「こころ」にも傷がある証拠なのです。


「こころ」を傷つけないといいましたが、人の「こころ」だけではありませんよ。


自分の「こころ」も傷つけてはいけないのです。


大切に大切に。


人も自分も大切に。


幸せに生きたいものです。


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コメント

素晴らしいお話をありがとうございます。

いい話でした~。しっかりしっかりと覚えておきます。

  • hiro
  • 2006年12月20日 11:53

いいお話です。
「こころ」大いに探るべき存在ですね。
今回の話の中に「思考」と僕個人が解釈している部分が入っていますし、「こころ」の解釈も弱冠違う部分がありますが、最終的に辿り着くべき場所は同じです。

いきなり「こころ」じゃなくて、「因果の法則」か「鏡の法則」から入った方がいいんじゃないか・・・ と思ってるのは「僕だけ」?
はい、失礼しました。

それと今回のブログで一番難解な問題!

なぜ「129回」なんですか???

「言いにくい」の、語呂合わせとか・・・?
誕生日が1月29日か・・・?
はたまた12月9日か・・・?
はたまた、「ただの気まぐれ」か?
それとも、こういうことをやると
どうせ「単細胞なちしおが悩む」から、
「すぎおか療法」の腹いせに・・・ とか?
英語で読むと「ワン・ツーナイン」
これは関係ない
この記事を書いたとき、自分が12位で僕が9位だった・・・ 全然違う。
1・2・・・・9
間がないから「間抜け」 多分違う・・・ 多分?
分かった!
分かったぞ~!
「1と2しか知らない奴が、9を求めるな」!
これだ! 間違いない!
僕はそう解釈しました。
真実はなんですか?


お二人のご評価にエバラ先生もお喜びのようです。

129回は私も不思議でした。
聞いてみた所・・・
1は人、29は肉。
人肉にあらず
を伝えたくてこの回数にしたと言うことです。
なんかヒネクレ者ですね。

命であり、思考による行為が人である証明だと。

肉体を自分と思うなと言う意味らしいです。
ちしおさんの結論も間違いではないとのことです。
なぜなら、それがちしおさんが感じ取ったメッセージなのだから、否定する何物もないとの事。
自分の糧にするのに、正解も何もないそうです。

すごくタイムリーな話題でびっくりです。
私の友人が周りの人のダークな気持(念)によって、影響を受け体調不良&
不可解な出来事に陥っていたんです。
でも対策をとって、今は良くなっているそうですが。
「こころ」のあり方によって周りの人にまで悪さしたりするなんて・・・本当に怖いです。
私の母はよく「死んだ人より生きている人間の方がよっぽど怖い」と言っていましたが、本当だなと思いました。
自分も気をつけないと・・・。

  • klf
  • 2006年12月21日 11:27

klfさん

本当に人の想いって怖いですよ。
良い思いはとても助かりますが、反面だと大変なことに。

音叉のように、まわりの人のわずかな同調する部分まで震わせますから。
影響は知らず知らず受けてしまうのです。

良い人たちとお付き合いすることが大切なのですね。
死んだばあちゃんからも言われたなぁ。
「良い人たちと付き合うんだよ」
年寄りの言うことは本当に大事なことを伝えてくれているんですね。

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