2006年12月09日
エバラ、聖者を語る・・・
どうもお久しぶりです。
今日は聖者について語りたいと思います。
日本ではなんと言ってもお釈迦様が有名ですね。
お釈迦様の呼び名自体が俗称で、ゴータマ・シッダールタ(ガウダマ・シッダッタ)が本当のお名前です。
釈迦族という王家の生まれだったため、お釈迦様の俗称の方がメジャーになりました。
釈尊、釈迦族で生まれた尊いお方、で呼ばれることもあります。
名前はそのくらいにして。
インドではどんな扱いを受けてるかというと・・・
宗教としての仏教とは国内では700万人しかいません。
人口10億人の国で、700万人。
仏教徒を探すのが大変なほど少ないのです。
なぜかというと・・・
ヒンドゥー教の一派として見られているのが一般的なようです。
仏教とヒンドゥーを違う宗教としてみていないのですね。
仏教の扱いはそんなものですが、三大聖者の一人に上げられています。
お釈迦様とシャンカラ・チャリアとラーマクリシュナ・パラマハンサ。
このお三方が三大聖者といわれています。
一番人気はラーマクリシュナ・パラマハンサ。
イスラム教の一部の人間は「彼はイスラムの聖者だ」といい、
キリスト教の一部では「キリスト教の聖人だ」ともいいます。
イスラムの修行によっても、キリストの祈りによっても、同じ境地に入ることができる、と宣言していました。
もちろんその前にヒンドゥーの修行によってその領域に達していたのですが、宗教の儀礼の違いはあるが、到着するところは一緒だと「万教帰一」を説きました。
インドでは三歳の子供でも知っているといわれる聖者です。
もっとも、生きている間は「狂える聖者」なんて評価もあったりしました。
サマディと呼ばれる恍惚意識の瞑想状態にすぐに入ってしまうため、常人には理解ができなかったのです。
しかし、その優れた知性が書物によるものではなく「偉大なるマー(女神)が与えてくださる」と本人は言っていました。
誰も知らない知識を弟子たちや、教えを請う人たちに伝えていきました。
教えの根幹は一つです。
「あなたたちの中に神がいる。魂、命は神である。それを認識するためだけに、それを体験するためだけに人間として生まれてきたのだ。金と女(男)に惑わされるな。(欲と執着に負けるな)ただひとつの目的を果たすことだけを目指しなさい。それだけがあなたが成すべきことだ。成さないうちは何度でも生まれ変わり苦しみ続けることになるだろう」
日本では聖者の代表のお釈迦様は現地の評価はどうなのでしょう。
お釈迦様は正しい生き方の実践した哲学者として認識されているケースがほとんどです。
宗教というよりも哲学者としての評価です。
悟りに到達するには4つの道があるといわれています。
お釈迦様は業(行為)の積み重ねにより誰にも到達できることを説きました。
自業自得なんて有名な言葉も残されています。
その教えはとてもシンプルです。
思い、言葉、行為を整えて、目的に向かって正しく生きよ。
これだけです。
お墓を立てろとか、先祖を供養しろとか、教を唱えろとか。
そんなことは一切言っていないんですね。
宗派を作れとも言っていないのに、日本ではそれが当たり前になってしまっています。
多くは儒教の思想が混ざってしまっています。
道徳思想ですのでそれはそれでよいのですが、お釈迦様の教えのごとく捉えられていて、どこで歪められたのかと思うと複雑な気持ちになることがあります。
お釈迦様から伝わって現代まで、80~90代の歴史があります。
原点を学ぶとわかるのですが、伝言ゲームのようにずいぶん違う言葉になって伝わっていることに驚いてしまうことが多々あります。
大いなる愛で許していただけるのでしょうが・・・
当時のインドでは、黄色い法衣をまとって出家さえすれば死ぬことはありませんでした。
托鉢により、食べ物は恵んでもらえましたし、インドでは凍死してしまうような地域は少ないため、働かなくても修行者の振りさえすれば生きていくことは簡単でした。
その時代の社会では通用した発想が根底にあります。
「悟りへの道に入りたいのであれば出家するのが望ましい」
そんなことを今の日本でできますか?
同じような修行の仕方で生きていけますか?
托鉢しても誰も家から出てこないでしょう。
どれどころか不審者として通報されるのがオチです。
気候的にも、西日本の一部ならいざ知らず。冬には凍死してしまうような場所がたくさんあります。
日本はお金がないと生きていけない国なんです。
その日本に、言葉どおりを当てはめて「お釈迦様はこう言っている」とかお釈迦様を利用して自分の言うことを聞かせようとするインチキ教主が後を絶ちません。
宗教団体が悪いとは言いませんが、きちんと勉強をした上で団体を選ぶべきでしょう。
勉強しに団体に行く前に、原点を学んでから実践しているところへ勉強に行く。
この順番を間違える人が多いので、宗教団体への悪評がなくならないのです。
そこを選んだ自分の責任もあるわけですから、きちんとしたところで勉強しましょう。
これなんか建設会社を選ぶのと似ていますね。
建築の勉強をしてから業者を選ぶと間違いは少なくなりますが、勉強もかねて業者に相談するととんでもない「スカ」をつかまされることもにもなります。
脱線してしまいました。
今日は聖者の話でした・・・
お釈迦様についてまとめます。
「人生は身口意(身は行為、口は言葉、意は思い)の因果によって決まる。
あなたの中に仏がいる。
仏とひとつになるための正しい生き方をする為に肉体を与えられた。
目的に到達するまで、生まれ変わり死に変わり(輪廻)やり直しさせられる。」
教えの言葉は数え切れませんが、要約するとこれらにつきます。
イエスキリストは
「良い種を播けばよい実が実り、悪い種を播けば悪い実が実る。
どんな実をつけたにしろ、あなたが刈り取らねばならない。
天の父は神の国にいる。
神の国はあなたの中にある。」
これらのことを説きました。
キリスト教は輪廻を否定しているだろう?
はい。確かにキリスト教は否定しています。
しかし、こんな言葉が残っています。
「善きを行いし者は命を受け取るために、悪しきを行いし者は裁きを受けるために、それぞれ再び生まれてくることがあるであろう」
これはイエスキリストの言葉ですよ。
キリスト教では輪廻を否定していますが、キリストの言葉は輪廻そのものではありませんか?
まだまだ、共通する言葉はあるのですが、寄せ集めした言葉だけを見ても、聖者たちの教えにちがいはありますか?
私から見て何も違いが無いのです。
言い方や表現方法が違うだけで、ひとつの物事を違う角度から言うことはあっても、同じことを説いています。
これらの意味することはなんでしょう?
真理はひとつ。
至る道は無数。
他を否定するのではなく、全てが必要であることを忘れることなく
自分の目指す人生を歩めることが大切なのではないでしょうか?
聖者たちの教えは、迷ったときの羅針盤。
何のための命なのか?
生きる価値を思い出すためにはとてもありがたいアドバイスとなるのです。
そんな聖者たち・・・
私は大好きなのです。
- by
- at 15:17
コメント
「うおおおお~~~~」
最高だ~~~!!!
「よくぞここまで勉強した」と言いたい。
僕なんて、2~3冊の本を読んだだけで、しかもごく最近・・・
すべてが独学でお恥ずかしいんですが、
今日のあなたは神の領域に入りました。
建築に唯一無二として必要なものは、間違いなくこれです。
「神が自分の中にいる」
当然です!!
僕は信仰宗教は全くありませんが、
自分の中の神は大いに信仰しています。
そう、まだ信仰しているレベルなんです。
やりますよ~、僕は。
絶対に到達するぞ~!
どこまで行けるかは分かりませんが。
みなさんコメント書いてくださいよ!
予定通り、ランキングも上がってきました!
今日はもう一発、「人間のこころ」についてでも書いてください!
エバラさんに言ってるんですよ!
すぎおかさんは「伝える」だけでいいんです!
「ポチポチポチ」
エバラさんのために・・・?
ちしおさんの絶賛にエバラ先生もお喜びでしょう。
あまりに建築から離れた内容に他の人は沈黙・・・
何でも良いのでご感想を聞かせてくださいね。