2007年10月27日

在来工法という呼び名について思うこと

呼び名は体を現します。

しかし、本来の体をなさない呼び名について抵抗を感じてしまう。
そんな男の独り言です。
テーマは「在来工法」

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日本には在来工法の信者が多い。
日本の風土に合った工法は在来工法だ、と信じている。
いや、思い込んでいるといったほうが正確か?
何が正解かはわからないが、個人的には風土に合わせることもできるが、風土に合わない建て方になってしまうこともある工法だと思っている。


内容に差がありすぎるので、「在来だから大丈夫」という訳にはいかないと感じている。
事実、在来信者たちは、パネル工法や2×4をけなしてきた歴史を無視できない。
しかし、度重なる震災にて、倒壊した建物は在来が目立つことは事実なのだ。
だからといって、在来全てがダメかというとそうでもない。
ちゃんと震災を乗り越えた建物にも、多数在来工法は存在する。


真実は二つの見方ができる。
いつの時代も変わらない真実と。
時代や社会の都合によって変わる真実がある。


「命を大切に」はいつの時代もかわらない普遍的な真実だ。
「国のために」「金のために」は社会背景によって変わってきた真実だ。


社会背景による真実は、問題に直面した時に、普遍性に向かって修正される。
やっぱり命が一番だよね、と忘れていたのを思い出したかのように修正される。
社会風潮や団体思想により、個人の感覚の麻痺が肝心なことを忘れさせてしまうことがあるようだ。
とにかく人間は良く忘れる。
命が一番大切なのに、金や他の物に目がくらむ事が多い。


伝統的な工法を受け継ぐ人間はごく少数だ。
本来の伝統工法である在来工法は、見事なまでの免震構造になっている。
大地震に際しても瓦が外れることはあっても、めったなことでは倒壊しない。
そういう構造が1000年以上前に確立されていた。
しかし、今ではその工法の技術を受け継ぐ人間はほとんどいない。


「在来工法」の呼び方に対して、一般的な人たちと、私個人の捉え方は違う。
伝統工法とはおおよそ違う建て方を指して、在来と呼びづらく感じている。
どちらが正しいのかは知らないが、社会的通念上の呼び方が正しいのかもしれない。


在来とは「現代の主たる工法」に対しての呼び名であり、伝統工法を本来は在来と呼ぶべきと思っているのだが、どうしても違和感を感じる。
しかし、しょせん呼び名なのでどちらでも良い。
呼び名にこだわるよりも、意味を知らないことに対して、危惧してしまう。
伝統技術の荒廃や絶滅は、民族の文化を失うようで憂慮してしまうのだ。


伝統工法は便利性からは対極的な存在だ。
家の中の音は筒抜け。
プライバシーなんて存在しない。
しかし、大気と大地と調和する思想が、その文化にはあった。
だから、腐らない。
1000年でも耐久するし、地震がきても倒れない。
住んでいる人にも、自然と道徳心が生まれていたようにも推察できる。
明治初期の日本人の人間性の高さは、インドの教科書でも紹介されているほどなのだ。
大和(ヤマト)の国、は大いなる和の国をさす。
自然との和、人との和を重んじてきたのは事実だ。


衣食住を原因として、人間性に結果が現れるとしたらつじつまがあわないだろうか?
昔は衣は綿か麻が主だった。
穀物を主として、少量の魚を食していた。
住は大気と大地の中にあった。
そのころの日本人は、世界から人間性を誉められる国だったのだ。


在来工法から話が飛んでしまったが、そういう研究をしているとどうしても気になってしまう。
自然界と隔絶する環境を作り出す工法を「在来」と呼びづらいのはそういう理由があるからだ。


現代の建て方は、戦後建物を再建するのに効率よく釘を使うことから生まれてきた。
本来の在来とは似ても似つかないやり方になっている。
そもそも設計の思想が根本的に違うのだ。
しかし、それを批判するつもりはない。
時代の中で、今のやり方を「在来」と読んでいるのが真実だからだ。
しかし、その呼び名が本来の伝統工法の思想に気づいた時に、多くの人が捨てることができるかどうかは疑問だ。


衣類は石油から作られるようになった。
食は輸入が多くなり、栄養分の少ない貧しい品質の食事が普通になった。
住は大気と大地から切り離され、人間が作り出した自然界には存在しないもので覆われているのが多い。


自己中心な人間が多いのも。
子供の虐待や育児放棄が多いのも。
損得でしか行動しない人が多いのも。
癌が増え続けているのも。
離婚者の数が増えているのも。


これらとは無関係なことだと考えた方がよいのか?
これらの関係付けについては科学では証明出来ないだろう。
客観視できる証拠など揃えようがないからだ。
これらの解決には哲学が必要になる。
真実の追究だ。
証拠は各人の胸で感じる、真実のみがハートを打つという事実。
それしかない。


在来の意味からずいぶん離れてしまったひどい記事になってしまったが、本来の意味を考え始めたら止まらなくなってしまった。
許して欲しい。


日本人の素晴しい特性が自分の中にも、まわりにもたくさん目覚めるといいな、と思います。
大和の国は「大いなる和の国」という意味。
人と自然と調和できる生活が当たり前になる時代をつくる1人になりたいものです。


大気と大地と住空間を調和させることは、高気密高断熱住宅においても実現可能です。
ご興味のあるひとはお問合せ下さい。
年間2棟だけサポートいたします。


ということで、在来という呼び名に抵抗を感じてしまうわがままな男の私論でした。
お付き合いありがとうございました。


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コメント

素晴らしい伝統工法が 現代もあたり前にしっかり受け継がれていたら 日本はどうなっていたんだろうと考えることがあります。
1000年も耐久する技術があるのに 建替え平均寿命が30年・・・ それでいい訳がないですよね・・・

  • こうちゃん
  • 2007年10月28日 16:17

こうちゃんへ

敗戦後、効率主義に時代は流れました。
伝統よりも損得を重視するようになってしまったんですね。
今になって失われたものを復活させようとしている人たちもいます。
しかし、伝統工法自体が建築確認申請では承認されない建物なのです。
文化的な技術を認めない現状。
これは大きな壁です。
今後も折に触れ、このテーマは記事にします。
ご注目下さい。

集まれ!伝統工法関係者のブログを見ているのですが大変なことになっているのが分かり考えさせられています。
文化的な技術を認めない現状。大きな壁ですね・・・ もう方向転換は無理なのでしょうか・・・ せめて未来の子供達には 伝統を受け継いでもらいたいのですが。
今後の記事に注目していますね。

  • こうちゃん
  • 2007年10月28日 18:19
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