2007年10月31日
日本の一戸建て事情
家を新築してもすぐ値段が下がります。
3000万円の住宅が、所有権移転直後には2200万円程度でしか取り扱ってもらえない。
中には2500万円で扱ってもらえるケースもあるかもしれないけれど、それでも数百万円が価値として目減りする。
どうしてこうなってしまったんでしょう?
「個性の追求」
「耐久性が短い」
「政策の不備」
「個人資産としてだけの認識で、インフラとしての価値をもたせることができなかった」
一部ですが、これらの理由が考えられます。
個性の追求。
自分の好きな物ばかりを取り入れて作るため、街並みは揃わない。
好き嫌いの評価が分かれるため、買値を最終的に決めるのは買主になるため、どうしても気に食わない部分に対しての減点評価により、売買行為の買値が下がる可能性が高い。
耐久性が短い。
ご存知の通り、ジャパンオリジナルの文化、住宅の耐久基準があります。
木造住宅は22年だったかな?
お国が決めているんじゃしょうがないですね。
満たしていれば、「うちの建物はちゃんと国の基準を満たしていますから」と説明できますもんね。
30年も持たない建物でも、国が認めているんじゃあしょうがない。
そんな建物を買わされる国民はお気の毒。
そういう政策を作っている人たちは、御殿に住んでいるのにね。
「政策の不備」
これが一番の原因かもしれません。
日本の住宅政策は経済偏重になっているため、恒久的な見地で検討されていないと思います。
短絡的、短期的、個人の権利尊重、経済偏重。
住宅が建てば景気が良くなる、という言葉を聞いたことはありませんか?
建替え続ければ、確かに経済は発展します。
でもね、負担し続ける国民に事実を認識させる努力をしているようには見えません。
政府に対して、言ってもやってもらえないのか、言ったらやってもらえるのかはわかりません。
しかし、言わなくてもやってくれる、がないことだけは確かです。
「インフラではなく個人資産」
ココが日本と日本人の感性の欠点かもしれません。
EUをはじめ北米圏では、買い替えでライフスタイルにあった住宅に暮らすのは当たり前。
生涯に5~6回の買い替えは普通なのです。
そういう慣習を可能にしているのが、普遍性を持っている住宅の哲学です。
個性重視のデザインは重視しない、街並みを大切にする。
住宅を長持ちさせるための手入れを怠らない。
誰が見ても好感を感じるようにインテリアデザインを考えることができる。
それらの結果、再販でも価値が下がらない、場合によっては購入時よりも高価な取引なることさえ可能になります。
日本の住宅は個人主義。
自分さえ良ければいい、自分の気に入ったものであればいい。
街並みを気にしなくても好きなものを建てて何が悪い、と言わんばかりに好き嫌いで判断します。
再販のことを考えた場合、そういう住宅の建て方で価値が出るとは考えづらいですよね。
当然、そういう個人的な好みを優先してよい地域があっても良いと思いますが、全体の調和を乱さないための配慮が、家だけでなく、町の資産価値、都市の資産価値を高める事実をEU諸国から積極的に学んで欲しいものです。
海から見たギリシャの街並みを想像してみてください。
白い壁とオレンジの屋根。
とてもキレイです。
フィレンツェを丘から見下ろした時は、数百年前と変わっていないと説明を受けたその風景から感じる普遍性にショックさえ受けました。
瞬間に感じたことは日本人の感性の貧しさです。
東京を鉄道で移動していると目に入る風景。
東京に住みたいと思う外国人もいるのかもしれませんが、少数派でしょう。
未来に残すものであれば、私たちは責任を持たなければなりません。
「この世界は未来の子供たちからの借り物だ」はインディアンの教え。
きれいに使って、きれいに返す。
「こんな風にして返して欲しくないよ」
文句を言われない使い方を心がけてもいいですよね。
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- at 08:01
コメント
私もヨーロッパに行った時 かなりのショックを受けました。国をあげて 町並みを大切にして 家を長く大事に使い生活していることが・・・
日本の政策の不備には 憤りを感じます!
こうちゃん
そうですよね。
反面、日本には申請内容に不備がなければ自由が許されています。
EUの古い都市に行くと、自分の所有であっても全然自由が利かないという面もあります。
個人の集団が国を作っているという感覚が、日本人とは違うようですね。
社会のためには自分勝手は許されないのが当たり前、というのが彼らの環境。
法律を守ってさえいれば、好きなことをしても良い、というのが我らの環境。
この辺の違いでしょうね。