2007年11月24日
懐かしい家
子供の頃の記憶が残っている我が家は、下見板張りのボロ長屋だった。
実家が家を建てて引っ越したのは、私が6歳の時だったが生まれてからはずっとその家に住んでいたらしい。
表通りから80メートルも入った所に建っていたが、大家さんの畑を一望できる高台から見下ろす立地は、今でも強く記憶に残っており故郷の情景のひとつになっている。
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一階には台所と居間兼食堂。
LDKという表現は似合わない。
時々ねずみが目の前を走っていたり、テレビを一緒に見ていた。
それと寝室がひとつ。
窓のない脱衣所兼廊下には、五右衛門風呂があった。
今見ると風情を感じるのかもしれないが、当時既にガス湯沸かし器が入っており、スノコを沈めながら入った記憶はない。
丸い左官仕上げの浴槽も覚えている。
本来は外から薪を燃やして暖める風呂なのだが、本来の使い方はされなくなって久しかったようだ。
廊下の突き当たりは便所になっていた。
寒くて臭くて暗い和式の便所。
いつだったか、変な影が便所の前に立っていて怖かった記憶がある。
幽霊という認識がなかった年だったので「なんだろう?」と不思議がっていたことを覚えている。
母の周りにはオカルト話は溢れており、オカルト一家で育った不思議な記憶の始めはこの経験だった。
怖かったことだけは覚えている。
それと前後するように、いろんなものを見ていた記憶が残っている。
夢だったのか、子供が作り上げた幻想だったのか分からないが、とにかく教科書には載っていない世界のいくつかを強烈に記憶している。
自分の寝室は小屋裏だった。
はしごを上ると、野地板に板金を打ちつけた釘がむき出しになっていた。
危ないから壁に近づくなと言われた記憶がある。
i今のバリアフリー住宅と比べると笑ってしまうほど危険に溢れていた。
もちろん断熱材なんかは入っていなかったが、火の気のない小屋裏で平気で冬も寝ていた。
今考えると、絶対に氷点下の室温になっていたはずだ。
湯たんぽを入れて寝るのだが、いつの間にか寒くて夜中に目を覚ます。
布団を蹴飛ばして体が冷え切ってしまい目が覚めるのだ。
ごそごそ這い出して、はしごを降りて一階寝室の母の布団にもぐりこむのが日課になっていた。
とても暖かくて安心したのを覚えている。
家の前には砂場があった。
近所に子供が少なかったため、もっぱら兄と遊んでいた。
いつも兄の好き放題に付き合わされて、楽しい記憶は少ない。
自分ひとりで遊ぶのが好きになっていた。
一度「外に出ていなさい!」と兄弟そろって外に出された。
兄は泣きながら玄関戸を叩き「ごめんなさい」と謝っていた。
私は砂場でそれを見ながら楽しく遊んでいた。
なぜ怒られたのか全然わからなかったのだ。
母の怒声と兄の泣き顔が妙に鮮明に残っている。
とばっちりを食った形だった私は、兄干渉されない砂場遊びを満喫していた。
その後二度と「外に出ていなさい!」とは言われなかった。
ある時我が家に掃除機がやってきた。
赤い色の東芝製の掃除機だったのを覚えているのはなぜだろう?
小屋裏の掃除をした母が、はしごから掃除機を持ったまま落ちたことがあった。
駆けつけた私は心配そうに「掃除機大丈夫?」と倒れている母に聞いていた。
今までのほうきの掃除から開放してくれた利器を、杉岡家が随分大事にしていたエピソードだ。
ちなみに機械の事を心配知るやさしい子供だったんですね、と評価されたことは一度もない。
どこかで母は大丈夫、と感じていたはずだと理由付けさせて欲しい。
そんな記憶のあったボロ長屋も今から10年ほど前に倒壊してしまった。
住む人もいなかったため、使われず、いつしか雪の重みでつぶれてしまったのだ。
実家に帰る途中、表通りから見下ろした風景につぶれた長屋があった。
「ありがとう、おつかれさん」
そんな気持ちが自然と沸いてきていた。
今の家は外が氷点下10度であろうと、Tシャツとパンツでうろうろしてアイスクリームを食べている。
そんな家だ。
6歳の次男坊は先日知能テストで「ストーブが分からなかった」という。
ストーブを使わない暖房なので、「機械の箱」としか認識できないらしい。
ジャスコで買い物途中に「これがストーブで、部屋を暖める機械だよ」と教えてあげた。
30年ほどの時間は、生活環境を変えるには充分だったらしい。
住宅という仕事を選んだのも。
良い家作りを追求して来たのも。
省エネ住宅のアイデアを出し続けているのも。
これらの幼児体験が基礎になっているのかもしれない。
30年以上前のこととはいえ、周りと比べてもかなりのボロ家でしたもの。
幼児期の私にどんな価値観を植え付けたのか分からないが、不思議なくらいいろんな記憶が残っている。
便利ではなかったけど、少しでも快適に暮らすために家族でいろんな工夫をしていた。
自分勝手な使い方では家族に迷惑をかけるからだ。
共同生活の基本が磨かれるような住まいだった。
子供たちが大人になって独立した時に、今の家をどのように思い出してくれるだろうか?
雪が積もった冬道を窓から眺めながら・・・
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- at 09:44
コメント
いい お話ですね~
子供の頃の杉岡さんを想像すると 愛しく思いました。私もいずれ 生まれ育った家を壊す日が来ますが 色々な思い出がよみがえりました。
こうちゃん
自分が住んでいた家を壊されるのを見て、泣いてしまう人を何人も見てきました。
新しい生活を楽しみにする反面。
過去のドラマを思い出して、感情が止まらなくなってしまうようです。
「解体は見ないほうが良いですよ」と何人もアドバイスさせてもらいました。