2008年03月29日
議論で得るもの
議論を好む人と、好まない人がいます。
私は昔は大好きでした。
というか生き方そのものが議論みたいなものでした。
絶えず、どちらが正しいのか白黒をつけようとする考え方。
振り返ってみると何も残っていなかったような気がします。
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議論にも二種類あります。
誰が正しいのかについての議論。
何が正しいのかについての議論。
どちらも議論は議論なんで、徹底してやりますと和解するよりは決裂する方が多くなります。
決裂の結果、敵が出来上がる。
それはひとつポイントとして覚えておくと良いでしょう。
何が正しいのかについて議論していたのに、いつの間にか誰が正しいのかに摩り替わってしまうことがあります。
これが要注意。
最初は有益な話し合いだったものが、いつの間にか優勢する側は、相手に対しての人格的な優位に取り違えてしまい、結局誰が正しいのかと結論付けてしまう場合です。
営利関係でたった一度きりの関係であればまだ罪は少ないですけど、夫婦なんかでこういう話し合いをしてしまうと、後々大変なしこりになってしまうこともあります。
議論は正論に近い勝ち負けを判定するために行ってきました。
「立派」の語源は「論破」から来ていると言っている学者もいます。
相手を理論で打ち負かすことが、漢字の国、中国では男のひとつのステイタスだった訳ですね。
言葉で相手を打ち負かすため、男たちは一生懸命だった訳です。
テレビタックルなんかを見ていてもそう感じるんですけど、あまり美しくない。
というか人間の醜い面も見えることがあります。
特に感情を込めて相手の考えを批判するような行為とか。
よく電波に乗せて全国に発信するよな、と思っちゃいます。
国会の審議答弁なんかも内容的には負けていません。
相手の言葉の揚げ足をいかに上手に取るか。
油断も隙もないのはお互い様。
国会を一日開催するのに、3億円かかるという試算を見たことがありますが、事実だとしたらやめて欲しいと思うこともしばしば。
国の事を決める大事な話し合いなんですから、私もたまには見ますが・・・
こう言っちゃなんですが、子供には見せたくないな、と思うようなシーンもたびたびあります。
国民を代理している訳ですから、それなりの品格を示して欲しい。
熱くなって暴言に近い発言をする人も問題ですが、表面的には紳士的ではあるけれど、全然中身のない答弁をする先生もいる。
始めてみた時には「なんだコイツは」と思った。
言葉に真意がこめられていない。
本当にそんなことなど思っていないのに言葉だけは音として口から漏れている。
そんな印象だ。
そんな調子で「何が正しいのか」について話し合っているのだ。
議論にもいろいろあるんだな、と思うのだけれど。
でもね。
できれば議論なんかない方が良いと思ってしまう。
意見交換や話し合いとは違う意味での議論ですよ。
自分に足りない視点を得るために話し合ったり。
情報の不足を補うために意見を交換し合ったり。
それらのコミュニケーションはとても有益だと思います。
しかし、自分の意見の正しさの主張も含め、誰が正しいという言い方をする人は共通して多くの敵を作ってします。
その姿を見ていて、議論はすべきではないなぁ、と感じてしまうのです。
議論とはこうあるべき、と議論するつもりはないんだけれど。
話し合い、意見交換、議論。
似たように思えるコミュニケーションでもそれぞれ違う。
有意義な話し合い。
お互いを尊重しあえる関係を維持しつつ情報の交換を行うこと。
人間関係を壊すような話し方や感情表現には注意しつつ、お互いに納得のできる結果を導き出す。
話し合いとはそうあって欲しいと思います。
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- at 17:11
コメント
国会中継をたまに見ることがありますがムムム・・・と思うことがあります。
私はたまに勉強の為に見ています。
中にはとても国民本位でよい意見もありますよ。
国会審議にかける議案や、問題点は党の中でもどれを出すか選ばれているので、あまり変なものはないのですが、与党の数で押し切る議案の中には、「そりゃないだろ」と思うものもありますよね。
政治に明るいわけじゃないけれど、明らかにおかしいよな、と言うものもありますよね。
なんかお芝居みている気分になることもありますね。