2010年07月21日

マイホーム論6

家は誰のものか?

この質問の答えは資本主義世界と、社会主義世界で異なります。

マイホームという呼び名の通りで個人資産としての色が濃いのが資本主義世界。

社会主義では個人の所有ではなく社会からの借り物としてみなします。

アボリジニやアメリカインディアンは・・・

未来からの借り物とし、そのまま子どもたちに受け継げるように考え維持します。

それぞれ国や文化の事情において「正しい」と言えるのでしょうが。

アボリジニやインディアンの観点はこれからの環境保護も考えた場合にはとても重要な感じがします。


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家に金がかかりすぎるのは、日本の致命的な商習慣といえます。

買い方を間違えると生涯住宅の奴隷になってしまう負債になりかねません。

求める耐久性を持ち、適正な価格で購入することが必須条件となります。

ところがこの耐久性について。

消費経済に依存している日本では矛盾する価値観になります。

なぜなら、建物がいつまでも壊れないようなら、いつまでたっても次の消費が起きないからです。

木造住宅は22年で耐用年数を終える、と国が決めているのは日本だけ。

結局不動産評価も耐用年数を規準に年々価格が下がる査定を行いますから、家を買い替えるとか、住み換える時には大量の資金の持ち出しが必要になります。


これらの法定耐用年数は、建築業界の良心にも副作用をもたらしました。

「耐用年数さえ持てば法律を犯していない」という物差しを、一部の業界人たちに植え込んでしまいました。

彼らは法を犯さないギリギリの基準をたえず模索し、安く販売しながらも自社の利益を確保する理念の信仰者です。

「何も悪いことはしていない」と言います。

法的にはそうかもしれませんが、道徳的にはどうでしょうか?

お客さんに事実を説明できるような建物ではありません。

最低の品質の建材を、法的には最低の量だけ使用する。

もっとも低い賃金で働く大工をつれてきて作らせる。

打ち合わせはカタログ化し、考えさせずに選ばせる手法で時間も短縮する。

これらをシステム化して販売を延ばす。

売り上げが伸びたら広告、宣伝、情報誌への有料記事掲載などで知名度を上げる。

過去には随分このやり方で粗悪な建物が作られてきました。

しかし、このやり方も通用しなくなってきております。

本当に必要とする人しか住宅にお金をかけられない人しか建てられない時代になってきているからです。


価値観の過渡期に入っている現在では、100年、200年耐久する家づくりが求められています。

欧州に代表される長寿命の住宅がなぜ日本ではできないのか?

このことに疑問を感じる消費者も増えてきています。

理由の一つは前述しました。

商業主義によって建てられるから、です。


ここでもう一歩踏み込んで考えてみて欲しいのです。

なぜ、商業主義によって作られた住宅を買ってしまうのか?ということも。

それは消費者があまりに不勉強、無関心、人を見る目がない、ということにも上げられます。

この場合の「人」と言うのは経営者です。

商品と言うのは社長の人格の現れです。

会社の社長がどれだけお客様のことを考えているのか。

どれだけお客様のことを考えられる社員を育てているのか。

そういう人間性を識別できる消費者が極端に少なくなっています。

「だまされた」

「欠陥住宅だ」

「住宅購入で失敗した」

これらの被害者に共通する原因は「経営者を見る目がない」ということです。

計画の時点で失敗が決まっているような物なので、「欠陥計画」の一つに業者選びという造語で説明させていただいています。

「経営者を見る目がない」のは消費者の責任です。

法的な最低限のクリアを目指しているような業者の識別がつかないままモデルハウスめぐりをしてもリスクは減りません。

建物を通して、経営者の人格や理念を観察してください。

社員にも理念が浸透しているかどうかを感じてください。

少なくともそれは消費者がチェックする責任のあるポイントです。


もしも理念の中に「家は長持ちさせなければならない」「子孫にも受け継がれるような価値あるものでなければならない」などがあれば、その会社は信用できる可能性があります。

口先だけではなく、実際にするための行動も伴っている必要もあります。

耐久性を期待するのであれば、そういう価値観を持っている人と家づくりをした方がよいでしょう。


そこで初めて「その家は誰のものか」ということに触れることができます。

建てたのは初代のオーナーだとしても。

受け継がれた家は誰の物なのか。

管理の責任はその時のオーナーがしたとしても。

代々引き継がれるような住宅は、ある意味では社会の持ち物のような一面が出てきます。

歴史的建造物と呼ばれている建物はみなそうですよね。

個人住宅においてもそれは可能です。

代々引き継いで、物を大切にし、環境に負荷をかけない。

自分の物、と考えれば粗末にする人も出てきますが、未来から借りている物だからそのままの状態にして返す、と考えれば大事にするでしょう。


誰の家か、と言う問題は法的な意味、権利的な意味、同義的な意味、持続可能な社会の実現としての意味それぞれで答えが違います。

どの意味においても正解なのでしょうが、どの意味において考えるのをあなたが好むのかを考えてみてください。

個人的には「未来から借りているのだから元の状態にして引き継ぐ」というのが好きですから、持続可能な社会の実現のための思想としても住宅は意味をもつと思っています。

経済は縮小するかもしれませんけれど。

自分が死んだら関係ないから。

そういう意見も間違いではありません。

ただし、そういう考え方の先輩たちが建てた家があなたの周りにたくさん建っていませんか?

その家に住んでみたいと思いますか?

どうせなら、みんなから「ああいう家に住んでみたい」と思われる家で暮らしたいと思いませんか?

街を観察するだけでもいろんな情報を読み取ることができます。

「この人たちは、未来に引き継ぐことも考えて家を建てたのだろうか?」

そんな風に考えながら見て回りますと、新たな発見があると思います。


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