2010年08月20日
自分の物差し
自分の物差し。
ひとりひとりが持っていると思います。
「普通は・・・」という枕ことばで始まったり。
「・・・が常識じゃない」という締めに使われたり。
物差しの当て方が強い人とそうでない人の差こそあれ。
誰しも自分の物差しを持っています。
上手に理解すると、いろんな人と仲良くなれることをお約束します。
この物差し。
自分の過去の経験によって作られてきます。
経験によって価値観が形成されてきます。
良い思いをしたり、苦しんだり悩んだり。
それらの繰り返しによって、いつの間にか自分の物差しを持ちます。
その物差しによって、他人と比較をしたり、比較した内容で評価を下します。
自己と非自己の識別もこの物差しによりますが、この問題だけでも相当な量の解説になりますので今回は割愛します。
物差しによる比較に絞って考えてみます。
人の顔をどう思うか?について考えてみましょう。
好きな顔、嫌いな顔があるでしょう。
一般的に好かれやすい特徴が多い相を持っている人はモデル、俳優、芸能人に多いと言えます。
どこが好きとか、そういう評価も全て自分の中の物差しが行っています。
アイドルグループの中で好きな対象が分かれるのはそのせいです。
自分の物差しでは「この人が良い」と評価しても、別の人がそう思うとは限らない。
そういう評価の差になるのは、個人個人が持っている物差しが違うからです。
家について考えてみます。
ある人はデザイン重視の選び方をしています。
ある人は省エネ性重視の選び方をします。
ある人は建設会社の知名度で選びます。
人それぞれの選択基準があることがわかります。
違う考え方をしていることで、たびたび議論になることもあります。
「あなたの考え方はおかしい」と評価し合い争いになることも。
これは結論から言うと、争いになること自体がおかしいんですけれど、当の本人たちは気付きません。
生まれ育った経験が違う人同士が、自分の物差しに従って評価しているのに、どちらがおかしいとかそういう話自体がナンセンスです。
あり得ません。
しかし、当の本人は意見の違いにストレスを感じ、なんとか相手を説得するのに必死になったりします。
そのような物差しの違いによる意見のギャップを解決するのに「観点の移動」がとても有効です。
相手の観点からどのように見えているのか、を思いやるのです。
日本人は元々、そういう配慮、思いやりが得意な人種だったはずなのですが。
最近は苦手というか、まったくそういう考え方をせずに、自分の意見が認められないことに腹を立てる人が多くなっているような気がします。
自分の意見・・・自分が「主」で意見が「従」の関係ですが、アイデンティティ(自己同一性)によって、考え方を否定されると自分の存在まで否定されたような錯覚を感じることで大きなストレスを感じる人も多いため、結構デリケートに扱わなければコミュニケーションにおいてうまくいかないことも出てきます。
自分と、自分の考え方や、自分の持ち物を分けて考える。
そういう観点を持つことも、コミュニケーションにおいて重要なスキルになります。
コレがうまくいっていない人は超ストレス習慣に陥っているケースも多くなります。
これも一つの物差しなんですが、自分(主)と自分の何か(従)を同一化させない観点で生活できるようになるのも、心身の健康を保つのにとても重要なポイントになります。
寸法にも世界にいろんな基準があります。
メートル法が世界基準になっていると言えます。
その他にフィートや、日本の尺寸法など、お国によって基本単位に違いがあります。
しかし、この基本単位は物体として客観できる基準があります。
JIS規格のスケールは万国共通の基本単位を確認できます。
あてがってみれば即座に寸法が見て取れます。
ところが人間の価値観でできた物差しは客観できません。
恐ろしく主観的な物差しです。
そしてその持ち主はその寸法の正確さを盲信しやすい物差しと言えます。
自分の経験によって作られた物差し。
人からは見えないのに、何にでも当てがって、自分の寸法で評価します。
この物差しには弱点があります。
過去に出会ったことのない価値観や事実に遭遇した時にまったく機能しません。
だから、デタラメだとか、そんなもの信じないとか言います。
時には非常に相手を傷つけるような表現さえ使われることもあります。
相手にとっては「何を根拠にそんなことを決めつけられるんだ」と困惑するばかりですが、当の本人は自分の物差しを信じて疑いません。
自分の物差しで測れない人や物との遭遇。
女性の場合は結構柔軟に「どういうこと?」と関心を持つことが多いのですが。
男性の場合は「予測用の物差し」を懐から出して、イマジネーションを活用していろいろな予測を立て始めることが多いと言えます。
この点では女性の方がリアリストと言えそうです。
男性は未知への物に対して、非常に懐疑的に取り扱うことが多いのはそのためです。
だからと言って女性の方が正確かと言うと一概に結論できません。
女性特有の「好き嫌いの物差し」が脇差しのように一対になっているからです。
好き嫌いの物差しにかかっては溜まった物ではありません。
あらゆる事実も客観性も誠実さも全て一刀両断にされてしまうこともあります。
「だって嫌いだもん」の一振りでバッサリ。
男女間の考え方の違いについては説明がいらないほど家庭の中で実例を見つけることができるでしょう。
それぞれの物差しの正確さを競うのではなく、相手の物差しではどのように測ることができるのかを思いやることが、コミュニケーションでは重要だと言えるのです。
家についての好みにも差が出るのも。
好きな男女のタイプに差が出るのも。
何かの価値観についての差は全て物差しに例えて説明することができます。
では、夫婦と言えども違う物差しを持って同じ家に住むのであれば、お互いに快適に暮らすためには計画時点でどのような配慮が必要になるでしょうか?
その設計方法があるとしたらどうでしょう?
デタラメとか、そんなの信じないという人も否定はしません。
ただし、物差しの違いの怖さを知らずに、設計することで住む人を不幸にしかねないこともある、というのは知っておいてくださいね。
そういう点では他にないノウハウでお役に立てるのではないかと思います。
物差しの違いを埋めるのは観点の移動。
覚えておいて損はないと思いますよ。
- by
- at 15:14
コメント